来週会えるかな

 

夫が「出産に立ち会える日に生まれてくれるように妻がスクワットしてる」と知り合いのマダムに話したら、「子どもは子どもの出たいタイミングで出てくるんだからそういうのはダメよ〜」と言われたらしい。

いやダメじゃないやろ、と思う。

出産日がいつになるのか、子どもがいつ出てくるのか、何がどうなったらこうなる、というのは完全には解明されていないらしい。子どもは子どもの出たいタイミングで出てくる、というのを良く聞く。特に色々な出産に立ち会う職業の助産師がそう言うのを妊婦期間中何度も聞いた。一人じゃなくて、色々な人がそう言っていた。

子宮口全開、出てくる条件は全て揃っていて何も問題ないのに、どうしても子どもが出てこなかった。時間の限界がきて、帝王切開になった。そのお産はとても印象的だった。数年後に母親に会う機会があって、そのときに「僕はどうしても下から出たくなくて、お腹に迎えに来てほしかったんだ」と子どもが話したと聞いた(3歳くらいの子どもには胎内記憶、生まれたときの記憶を話す子がいるらしい)。だから、子どもが選ぶことだから、思い通りにならなくても気にしないように、というような話をしてくれた人もいた。

そういうこともあるんだろうなあと思う。生まれてみないとわからないし、生まれてみてもわからない。子どもがそういう話をしたとして、本当にそうだったの?ってのもわからない。ただそう話したというのは事実、ということであって。でも絶対そんなことないとも思わない。あるんじゃないかなーと思う。

子は親を選べないとよく言うけど、子どもは生まれたときからというか生まれる前から親とは別の人で、別の人格で、親だって子どもをつくろう、産もう、という選択はしたけど、生まれてくるその子どもを産もうと、その人格、体質、体格のその子と親子になろうと選んだわけじゃない。そういうのは選べない。だから子どもってやっぱり、つくるんじゃなくて、授かるものだ。

だから子どもはみんな、宇宙の子、だと思う。宇宙からきた子。宇宙の摂理の一部。私もそうだし、私の親もそうだった。

というものなので、完全に子ども様々、子どもの意志だけ尊重しなきゃいけないよ、ということでもないと思う。私と子ども、人同士。宇宙の子同士だ。来週出てこなかったらダメだよなんて言ってないし思ってないし、こちらが何をしたとして決めるのは子どもなんだと私もそういう気でいるし、それは尊重する。ただそれぞれ私と子ども、別の人として、いつ会いたいなというこちらの希望を伝えるのの何がダメか。

もちろん私と子どもの関係は非対称で、育つまではこちらのほうが力関係は強いぶん、責任も重い。ここまでだって、たとえばタバコやアルコール等摂取しないほうが絶対にいいものを口にするかどうかは私次第で、胎児が私に禁止することはできなかったのだし、私の精神状態も多少は成長等に影響したのかもしれないし、子どものDNAは私と夫のそれを継いでくるのだし、生まれたあと私と夫の子どもとして育つことは彼・彼女の人生に物凄い影響力を持つのだし。

非対称で、こちらの力のほうが強いのだからこそ、あんまりコントロールしすぎようとするのは良くないとは思う。でも出産て当たり前だけど子どもだけですることじゃない。私の身体の、私の器官を使ってここまで育って、私の器官を通って出てくる、私と子どもの共同作業だ。だからあとはもう全部子どもにお任せしますよーってことじゃなくてもいい、というか、出てくるまでは子どもと私の器官は不可分だ。日にち指定は半分お遊びみたいなところもありつつ、良い出産にしようという方向性で努力することにマイナスはないだろう。

いよいよ差し迫ってきて、私のなかにいるのもあと数日というのは名残惜しさもありつつ。とにかくもうすぐ子どもに会えるのはとても楽しみだ。

どんな顔した、どんな性格の、どんな子なんだろう。どんな子でもぜったいかわいい。受精が前月だったら、翌月だったら、違う精子が到達してたら、また違う子だったという、いろーんな可能性のあるなかで、その子として生まれてくるって、凄いことだ。