谷の街とミイラ

 

メキシコに来て六日目。メキシコシティを離れて、レオン州のグアナファトへ高速バスで向かう。メキシコは長距離移動といえばほとんどがバスなので、バスの設備がとても充実している。グアナファトまでは約6時間、東京から京都くらいの距離だ。バスは特等、一等、二等とあって、旅行者には目的地まで停まらない一等以上が推奨されている。バスに乗り込む時には飲み物と軽食の入った袋が配られて、袋の中にはパンとシリアルバーと青林檎が入っていたから嬉しくなった。

大地は乾いていた。山と、砂地と、岩場と、サボテン。風が吹くと砂埃が舞う。たまに馬や牛が放牧されている。一つ一つの景色が大きい。日本で高度2300mというと、富士山の五合目か、山の頂上か、日常ではない起伏にとんだ場所、ほとんど登山でなければ行けない場所になると思うのだが、メキシコの2300mは広い平地の中にちょっとした高さの山がぽこぽことあるという、山というよりは平地の印象の場所だ。もちろん山の頂きはどこに行っても何かしらが見えるが、そこまでの高度があるとは思えない。川が全然なくて、造形密度も薄い。グアナファトへ向かう車窓からは、たまにビニールハウスらしきものは目にしたけど、農場は見られなくて、赤茶けた土地は人を突き返すような感じがした。ただただ水気、湿気が欲しくなる。このあたりはメキシコでも特に乾燥の強い地域だ。さらに北に進むと砂漠がある。だけど寒くない。だからなのか、厳しい土地に思えるのに、たくさんの人が住んでいる。

メキシコを思い出すと、建物が風に壊されて崩れ落ちるイメージが浮かぶ。日常の中に遍在している骸骨も、つねに壊れることを意識させる、今見えているものの一枚下を感じさせるものだ。日本人のもののあわれとか、侘び寂びといった自然の受容からくる美意識、哲学が、メキシコの気候の中だとこういう形をとるのかもしれないと思った。経年変化が美しいというその経過を感じさせることなく、先んじてベリッと一枚剥がし中身をみせておく、みたいな。

そういえばメキシコの人は全然包まない。お土産物を買うと、ゴミ袋みたいな黒いペラペラのビニール袋に入れてくれる。骸骨は覆っているものが全て朽ちた後に現れる、包まなさの極地だ。

宿に着いた時には、もう西日が強くなっていた。テラスからは、ガイドブックに「メキシコで一番美しい」と謳われている街並を見ることができた。

グアナファトの街は両側を山に囲まれた谷にあり、谷にある街の下には川が流れ、その上を地下道が通って、都市はさらにその上に築かれている。このゲストハウスは街から少し上流にむかって、さらに急な階段を上る斜面の途中にあるので、街の中心部を後方に見下ろすような位置関係で見渡すことができた。街の上には乾いた草原と岩でできた山塊が続いていて、ガイドブックに載っていた街並は山の背景を切り取られたものだと知った。この街もまた山の斜面に作られたものなのだ。丘陵ではない、頂きを持つ山とこれだけの街並が連続しているのは、見たことがない景色だった。中心部と反対側の、私達がいる斜面の延長には、一帯で一番高い筒状の山が迫っていた。コロニアル調の形とメキシコの色をした美しい遠景の中にもしかし、すぐ下の家々の、鉄筋が剥き出しで崩れと風化を感じさせる近景が紛れ込んでいた。その中の一つの屋上で、子供が犬と遊びながら爆竹を鳴らしていた。

グアナファトはグアナファト州の州都で、18世紀には世界の1/3の銀を産出した土地らしい。スペイン植民地時代に作られた、石造りの建物と石畳の道、広場、カトリック教会等を特徴とするコロニアル都市で、開かれた明るい雰囲気がある。気持ちが緩んだことで、メキシコシティではずっと緊張していたことに気づいた。犯罪に巻き込まれないように、という意識に加えて、都市ならではの独特な暗さや澱み、廃墟も高層ビルもどちらにも感じる巨大な建物の圧迫感、車線数の多い幅の広い道路、車のスピード感、そういったものがずっと身体を強ばらせていたのだった。

翌日にピピラ記念像広場からの景色はさすがだった。宿のテラスからも、そこまで歩いた道からも街はずっと見えていたけれど、広場からの眺めの方がずっと良かった。景色の中心に、黄色の建物が赤く縁取りされているバシリカ教会がある。すぐ後ろにはグアナファト大学の白い建物、その隣にはラ・コンパーニア聖堂のドームがそびえている。

宗教に対して、私はベルクソンの、生物進化の過程で人間が知性を獲得したときに、知性というのは個の自由を求めるものであるから、人間の共同のための防御装置として自然が用意したものだ、という考えに直感的に共感していて、そういう気がする、という程度の感覚でもう当たり前のこととしてそうだと思っていた。そのイメージはこの旅を通じて少し変わったのだが、この時はまたそういう気持ちで教会のある町を見下ろしていた。

DNAの解析がされてサピエンスが唯一の人類ではなくてホモ・エレクトスやホモ・ネアンデルタールシスなど他にも兄弟がいたけれど絶滅していることや、人間が猿の仲間であることが明らかになっているなかで、人間を特別なものとして説明する人格神を信仰するメンタリティと、それがいまだ世界中でどのように受容されているのかということは分からないが、それ以前の宗教的な心といえるようなもの、共同で生きるために必要な畏れや、超越的なものを信じる気持ちは持っている。

人の気持ち、想いには物質性がある、力がある、とも思う。だから信仰心自体に重みや影響力があると思うし、そこにも畏れを持つ。その功罪は別にして、信じるという心の有り様とその行為が詰まった「教会」にも、聖性、敬虔さ、重みを感じる。だから教会のある景色は何か特別さを帯びるように感じる。

街をパノラマで何度も見渡す。向い側の山の斜面、同じ高さのところには開けた道路が走っている。そこまで上る道は見えない。あそこまでどうやって行くんだろう。振り向いた所には、ピピラ記念像が松明を手に持った躍動感のあるポーズでそびえていて、その像は想像していたよりもずっと大きくて、見上げていると首が痛くなった。エル・ピピラはグアナファトの坑夫で、メキシコ独立戦争の英雄だという。メキシコ人の体格は私達とさほど変わらず、黒人や欧米人に比べるとけして大きくないのだが、こういったモニュメントや街のスケール感は日本よりもだいぶ大きい。

街で一番の眺望がある場所に、英雄の像がある。日本であれば城が建てられるだろう位置にこの像があるということから、英雄の度合いが計られる。ここからの見晴らしが良いということは、街中のいたるところからこの像が見えるということでもある。街に住む人、観光で訪れる人、どれだけの視線がこの像に注がれてきたか、それは跳ね返るように街を見守る視線にもなって、ということを考えるにはこの像は少しコミカルだけど、視線にも力はある。

夕方に、「momia(モミア:ミイラの意味)」とフロントガラスに書かれたバスに乗ってミイラ博物館へ行った。ミイラなんか見ないよ。夫は最初渋っていたから、物好きがみるものだろうとタカをくくっていたら、テオティワカンのピラミッドで体験した以上の行列が博物館前の広場を埋めていたので驚いた。これがわざわざバスで行く場所じゃない街中にあったら、並ぶのを諦めて帰ったと思う。行列に並ぶということに関して、絶対並びたくないという人がいるけれど、私はこういう場合は郷に入れば郷にしたがえなので、しおらしく行列に参加した。

並んでいる人の中に、チリ粉がまぶされた太いストローでジュースを飲んでいるおばさんがいた。チリソースでいっぱいのカップの中にフルーツが入ったお菓子を食べてる子供もいた。唐辛子はメキシコが原産なだけあって、「enchillaed(エンチラド)」と書かれた食品メキシコのいたるとろこにあった。飲み物にも、お菓子にも。

さて、行列はまだまだ続く。やっと建物の中に入れたと思ってもそこからさらに50m程先のチケット売り場から展示室入り口のゲートまで、往復100mだらだら進んで、並んだ時間は2時間くらい、展示室に入れたときはほぼ閉館の時刻になっていて、それでもまだ建物の外まで行列はあった。こうして2時間並んでそこまで疲弊しきらないでいられるのは新婚旅行の威力だった。

ミイラ博物館に展示されていたのは、圧倒的にミイラだった。中南米では火葬ではなく土葬が主流で、この地域は土中の塩分濃度が高くて微生物が繁殖しずらく、またあまりにも乾燥しているので、埋められた死体は自然とミイラになってしまうらしい。1865年から1958年まで、始めの3年間は無料で埋葬するけれどそれ以降埋葬税が払われなかった遺体は掘り起こして、出来の良くないものは焼いて、良いものは展示するというシステムがあって、共同墓地に隣接する博物館はその一貫として作られたものだという。博物館には赤ちゃんのものから大人のものまで、服を着ているものもあれば裸のものも、100体以上のミイラが保管展示されていた。

全容が見渡せない暗い展示室内で、ミイラはひとつひとつライトアップされている。眼球はなく、目は落ち窪み、皮と骨が一体化している。もしくは皮がひどく余っていたり、皮に無数の穴が空いている。ぐわっと大きく開けられた口からは悲壮な叫びが聞こえてきそう。皮が骨の窪みにそって水分をなくして張りついて、そういう表情になったのかもしれない。空気を発しているというより、吸い込んでいるように見える。私の祖母が亡くなったとき、どうしても開いて来てしまう口を押さえるために詰め物をしていたことを思い出した。口は勝手に空いてしまうのだろう。目も口も穏やかに閉じて安らいだ表情をしているものは少ない。一見辛く苦しそうな表情をしているとはいえ、それらの表情は感情の表れではなくて、物質の化学変化の結果としての表情のはずで、だから体格、着ているもの、乾燥や劣化の具合の差こそあれ、どれも似ているし、生前の姿は全然想像できない。ただこの人たちが皆、生きている時には幸せで、安らかな死を迎えたのであってほしいと思った。

列をなして、ひたすらミイラと対峙する。集団対集団で。一体であれば、そこに聖性が宿ってまた違う気持ちになりそうだけれど、あまりに数が多いので、ミイラの全体性が失われて、見ている物がいったい何なのかよくわからなくなった。タンパク質とカルシウムの塊。正直、途中で飽きてしまった。あまり長くいる場所じゃないと思って足早に出た。

死んだ後も身体は土に溶けたり、焼かれた煙が煙突から出ていったりして世界に散らばっていくから、死んでも死なない。繫がっていく。私は感覚的にそう思っている。けれど死んだらミイラになるのだったら、死んだ人は世界とどう繫がるのだろう。生ものはほっておいたら腐るのも絶対ではないのだ。