グレイスカイズ

 

藤沢に戻ってきた週の週末まで、辻堂に新しくできたビルで毛利悠子の個展をやっていた。そこは藤沢にゆかりある人の作品を展示する場所で、おかげで私は彼女が同郷であることを知った。

会場内のキャプションだったか別のインタビュー記事だったかに、湘南といえば青い空、海、みたいなイメージがあると思うけれど自分のなかにある藤沢の色はグレイで、というようなことが書かれていた。確かに、鎌倉、茅ヶ崎、鵠沼といえば海っぽいのだが、藤沢が灰色というのはわかる気がする。

彼女の言葉はある程度の抽象度を持った、制作のため、または作品を表すイメージの言葉で、私が藤沢について考える灰色具合とは次元の違う場所にある。でもそれは私が藤沢についておもう灰色とたぶんどこかで繫がってもいる。

藤沢というか、藤沢駅ということでいうと、なんだか汚い場所だと思っている。駅の南側を出ると銘店ビルという昔ながらの商業ビルがあり、そこの中庭は大きな喫煙スペースになっていて、大型ビジョンで相撲が映されているのを、おじいさんたちが煙を吐き出しながら見上げている。そこがまさに灰色の空間で、湘南のターミナル駅を下りてすぐにこんな場所があるなんてなあと思い、そこを通る度、まだ残ってるんだなあと思う。すべて清潔で明るいというのは嘘くさいし、藤沢の個性としてずっと残っていてほしいとは思いつつ、その空間にいて自分が居心地良いかといったらそんなことはなくて、きったないなーと思う。そしてそのビルに並行して続く道沿いにはパチンコ屋とファストフードのお店が並んでいる。そしてそういう中に凄く美味しいお店が埋もれていたりする。

湘南という言葉にのっかるとみえなくなる藤沢の灰色がある。藤沢駅の北側には昔の赤線跡地に崩れそうなバラックの風俗街があったのだが、そこはもうなくなっていた。ただどんどん建てられる真新しい高層マンションに、看板は派手だけど入り口はゴミで塞がれた、やってるのか定かでない風俗店がひとつ、取り囲まれて残っていた。

毛利悠子の作品が藤沢らしいかというとそんなことはない。作品に同時代性は感じるけれど、地域性は特に感じない。この展示会まで全然、もしかして藤沢出身の人なんて思うこともなかった。でも十代でみてた景色が近い(居住地、よく使っていただろうルートはほぼ重ならず、ただ藤沢駅は共通してる)ことを知って、その片鱗を探すような感覚が私の中にひとつ加わった。

生まれてから卒業まで過ごした藤沢。ただただ良い所だとは思わないけれど、雑多さも含めて、年を経るごとに大切な場所になっていく気がする。ここで育ったこと、そこにあるものをみていたことは消せないことを思い知っていくというか。故郷ってそういうものだと思う。