バラガン建築 思索の家

 

メキシコの街には、そこにずっと流れている音のような匂いがある。大きくなったり小さくなったりしながら、屋台から、店頭から、匂ってくる。一つはトルティーヤの、鼻の奥にたまる粉っぽいトウモロコシの匂い。もう一つは、鼻先にツンとする甘ったるい洗剤の匂い。嫌な匂いではないけれど、化学的で身体に悪そうだ。本当にどうでも良いけれど、この匂いを嗅ぐたびに「エジプト」という言葉が頭に浮かんできた。そして私達夫婦は旅の終わりの方で、何度もメキシコのことを間違えてエジプトと言った。匂いにやられたのかもしれない。

朝食は毎日違う場所で食べていた。前日夜に食べきれなかったメキシカングリルのスペアリブに、起きるなりかぶりついた日もある。この日はオープンテラスのカフェに行った。英語のメニューが用意されていて、隣のテーブルでは白人のビジネスマンが新聞を読んでいる。黒のラブラドールを散歩する人が店の前を通る。その後ろをリードを外された無毛種の犬が追いかけて行く。無毛種の犬は見るからに強そうでこわい。土佐犬みたいなやつ。こっちに来ませんように。祈る。夫はオムレツを頼んだ。メキシコのオムレツが気に入ったらしい。私はパンケーキを頼んだ。メキシコに来てパンケーキじゃなくても良いのだけど、メキシコならではのパンケーキが食べられるのかなと薄く期待していた。

しかし期待は外れて、パンケーキは全く普通のクラシカルなホットケーキだった。違ったのは、あの洗剤の味がすること。街を歩いていて通底音のように感じる匂いを強く味わった。全体ではなくて、食べているとその味のする箇所がある、という感じだったから、あの味がしないといい、と恐る恐る食べるのは、逆に味覚を敏感にして、積極的に洗剤を探してるみたいだった。残せばいいのに変なポリシーが出て全部食べた。思い出しても吐き気がする。

さて、バラガン建築はバラガン協会のもと見学料は一律だが、予約は家主に直接連絡する。メールで済む所もあれば、電話しか受け付けない所もある。言葉が通じない先はホテルから電話してもらった。今日の予定は、朝10時にバラガン邸の見学。夕方3時半にカプチーナス礼拝堂の見学。

地下鉄を降りて、バラガン邸まで歩く。バラガン邸はタクバヤ地区の坂の途中、けして高級住宅地とはいえない、予想外に庶民的な地区にある。ペドレガルの庭とは街の空気が全然違う。街にとにかく犬が多い。無毛種の大きくて強そうな犬が、家からリード無しで飛び出して来るのがこわい。マーキングがダイナミックで、水たまりができる。

歩いていくと、直角に立つコンクリートの壁に黄色い扉がはめ込まれた建物があって、アジア人や白人が数人入り口周りにたまっているのが見えた。バラガン協会、と小さく看板が出ている。ここだ。人だまりがあるからわかるけれど、なければ見過ごしてしまいそう。

協会の待合いに入ると、昨日一緒にプリエト邸を見学したメスチソらしき若者がいた。おはよう、と声をかけあって笑う。ベンチに腰掛けて待っていると、アジア系の女子学生3人が入ってきて見学を希望したが、予約がないと断られていた。ここは厳密に予約が必要なようだ。この回の見学者は昨日から引き続きの私達3人と、白人のカップル、家族連れ等の10人程だった。連れ立って待合いを出て、バラガン邸へ向かう。

小さな黄色い扉をあけて中に入ると、狭くて細長い空間に一旦閉じ込められる。木のベンチと木の扉があるから不快ではないけど、何のための場なのかわからない。扉を開けると、写真でみていた玄関が現れる。溶岩の床、ピンクの壁、二階に上がって行く階段と窓からの光の差し込み、一階リビングへのアプローチ。まずはリビングへ向かって進む。入れ子状に遮断されて壁しか見えない、ほのかな青磁色に満たされた小さな空間を進む。青磁色がどこからきているのか探したけれど、わかりやすい色壁は見当たらない。色味を感じたのは目の錯覚だろうか。

そのまま進んで、西側一面がガラス窓のリビングへ。昨日と同様、天井の高さに驚く。まだ午前10時だから光は穏やかだ。ガラスの外には庭がある。背の高い木々が生い茂って鬱蒼としている。よく言えば静か、悪く言えば少し暗い。ピカソ、モディリアーニ、絵画が部屋の至る所に飾られている。そして馬の置物。

採光は十分に考えられていて、二階分の高さがある部屋は広々として閉塞感なく、突き抜けている。西側にリビング、東側には書斎。部屋は仕切り壁で区切られているが、その壁は天井までは届いていない。小梁天井は奥の部屋のそれまで見渡すことができて、上部の空間に連続性がある。壁の作りは立体迷路のそれで、奥は見えないが歩き進むことができる。

書斎には、大きな高窓がある。この高窓がこの建物を大きく特徴づけている。本でよく見ていたけれど、想像していたよりもずっと大きくて高い位置にあった。立ってやっと窓の下部に目が届く。座った場合には上からの光としか感じられない。窓には格子状に摺ガラスがはめ込まれていてるから、景色という要素は全くない。そこにあるのは、窓というより、抽象化された光だった。

リビングから書斎に抜ける途中には壁一面の本棚が本で埋め尽くされている。東からの光は西からのものと比べて色味の変化も少ない。バラガンはこの光が入る書斎で、絵画の鑑賞や、チェーチョ・レイエスと色の研究に没頭して時を過ごしたという。

書斎から、また玄関からも二階に上がれるようになっていて、二階には寝室とゲストルーム、そこから階段で降りてきたところにバスルームやダイニングがある。空間の連続性が意識されているけど、壁で遮断されている部分は遮断されているから、ダイニングは何階にあったのか、バスルームはどの部屋と連続していたのか、記憶が曖昧だ。からくり屋敷というのとは方向性が違うけれども、頭で見学の順路を思い出しても混乱してよくわからなくなる複雑さがあった。何日か後に泊まったゲストハウスも、何階にいるのかわからなくなるようなところがあったから、それは斜面に建てる、という場合のメキシコの住居に或る程度共通するものなのかもしれない。

バラガン邸のゲストルームには、安藤忠雄が泊まって感銘を受けたという、内開きの扉がついた窓がある。上下に二段それぞれが内側に開くので、角度によって十字に切り込みが入り、十字架の光が立ち現れるというものだ。これも、バラガンがこの作用を意図的に意匠化したことに価値があるのだけれど、メキシコでは他の場所でも見つけることができる。高地ならではの強い日差しを、カーテンではなく扉で遮断する。内開きのそれが光の切り込みを作る。窓には庇がない。

素晴らしい建物だったけど、個人的な好みからすると、全体に暗く感じた。プリエト邸と全く対照的だった。住居が南を向いているか、東を向いているか、大きな窓があるのはどの方角かで全く印象が違う。ここは思索のための家。暮らすには断然プリエト邸が良い。