具体の仕事と働く子ども

 

オアハカに到着したのは元旦の朝七時だった。オアハカの朝はメキシコシティやグアナファトの朝とは違っていて、ゆるやかな、ようよう白くなりゆくという時間の尺を感じることができた。オアハカには海もあり、標高は低い。夜行バスで寝ているうちに、メキシコ中央高原からずいぶんと下ってきたのだ。

とぼとぼソカロ周辺を歩いていると、開店の準備をしているカフェがいくつかあった。広場はクリスマスシーズンの飾りで華やかに飾り付けられていて、教会前の広場には何か年越しのイベントがあっただろう紙吹雪や花火の残骸がたくさん落ちていた。髪の毛を三つ編みにして、花柄の刺繍のブラウスにスカートというメルヘンチックな出で立ちのおばあさんがいた。

営業が始まったオープンカフェでモーニングのコーヒーを飲んでいると、肩に何枚ものショールをかけた少年が「買わないか」と売りに来た。期待をさせると悪いから、そっけなくいらないと断る。少ししてからおじいさんが木工芸の置物を持ってみせてくる。いらない、という。今度は小さい女の子が、これあげる、とキラキラしたシールを差し出してくる。売り物と思えないくらいの些細なものだったけれど、受け取ったら絶対にお金を要求される。ノ、と断った。この最後のやり方はなかなか練られていて、危うくひっかかりそうだった。

街中には物乞いがたくさんいた。身体の不自由そうな人、子供を抱えている人。中にはただ座っているだけの人もいて、それでいったいどれだけ恵まれるのか、聞いてみたいと思った。

元日は市外中心部からバスで三時間ほど離れたイエルベエルアグアという観光地へ出掛けて終わった。

翌朝もまた私達は朝食を食べにソカロ周辺に来た。昨日よりも少し遅い時間で、広場に面したどのお店も開いていて、既に人で賑わっている。教会の隣には特設のスケートリンクがあって、家族連れがスケートを楽しんでいる。ぼんやり見ていると、物売りの少年が肩にショールをかけた昨日と同じいでたちで、スケートリンクを眺める後ろ姿が目に入った。昨日の子だと思うと、私は目が離せなくなった。スケートやりたいんだろうな。彼は数分経つと、また行商のために歩き出した。

私達は昨日とは違うオープンカフェで朝食を食べた。

物を売る人は同じようにやってきた。銀のお土産もの、木の笛、花に似せた飾り。視界にまたさっきの少年が現れた。通りかかりのおじさんが声をかけて、彼の足を止める。どうやらショールを買おうとしている。売れてほしい。経験上、販売という行為をするにあたって、朝のうちに一枚でも売れることは、その日一日の気分をかなり良いものにしてくれる。それを見せてよ、一枚広げてみせる。そっちはどうなの、また一枚広げる。いったい肩に何枚かかっているんだろう。いくつものバリエーションを見た後、おじさんは何枚かを見比べて迷って、結局買わずに行ってしまった。ああ。売れなかった。たくさん吟味されて購買に至らないのは精神的にほんとうに疲れる。少年が落ち込んでいないといいな、と引き続き見ていたら、少し年上の同業らしき青年が現れた。二人は笑いながら何か話している。少年は、たくさん見せたのに売れなかったよ、とでも言っているのだろう、困った表情で笑っている。あれだけの枚数を肩にかけながら、広げられたショールをどうやって畳むのか気になった。彼もなんとか整理を試みた結果、立ちながらでは無理だと諦めたようだ。ちょっと畳み直してくるね、的な合図をしてどこかへ消えて行った。一日何枚くらい売れるんだろう。彼が今日はよく売れた、一日歩いて良かった、と満足して眠りにつく夜がたくさんあるといいと思った。

オアハカはメキシコの中で人口におけるインディオの割合が最も高い州で、各部族に伝わる工芸が盛んなところでもある。しかしメキシコシティの市場でみた製品もなのだけど、売っている物がどうもそのままではメルヘンチックに感じて、なかなか買うことができなかった。もし子供がいたら買ってあげたい服はたくさんある。しかし自分が着るには厳しい。メキシコの民族衣装が着るのが難しそうなのは、色と柄の派手さで、日本人が着るとおばさん臭くなる気がした。街中でみられるものはどれも似通っていて、手づくりの大量生産品ということも思った。いわゆる良いものは、直接工房を訪ねたり、もう少し土地に入り込んでいかなければみられないのだろう。それでも一日歩き回って、とぼけた表情の魚柄の手織りのコースター、手触りのいい木綿でくるまれたぬいぐるみ型のクッション、浮き織りのランチョンマット、オトミ族の刺繍のクッションカバーなどなど、とにかく歩き回って買いたい物をいくつか見つけた。

露天商はほとんどがインディオだった。少しくすんだ赤をベースに、黄色や紺が複雑に組み合わされた横縞の民族衣装が格好良かった。こんなに格好良い彼らが、社会的な地位は低いことが悔しかった。企業家や銀行家になれたらいい、ということではなくて、そもそもの原住民や手仕事の地位が低い社会構造が悔しい。

全世界同じ尺度で、儲かるものが上、そうでないものが下、となってしまうことはおかしい。いや、ほんとうはそんなことはなくて、お金がそのままそのものの価値ということはない。金融やITなど抽象度の高いものは場所性を選ばず伝播するからお金になりやすいけれど、手仕事はそもそも作れる量に限りがあるし、土地に深く根ざしたものは、用途、デザイン等もその土地に規定されていることが多いから、伝播性の低い仕事であって、一攫千金とはならない。だからといってそのものに価値がないわけじゃない。わかってはいても忘れがちなこと、忘れないようにしたい。

人間のつくっている現代の社会の序列、上下関係は、世界の全てではないし、社会の全てでもない。ほんとうはどちらが上かわからない、というか上も下もないのがほんとうで、でもやっぱり人間は自分の立ち位置というのを常に測るし、それができなければ群れで生きていくのは難しい。ただ、地位が低くてかわいそう(どうも悔しいことではあるのだけど)、子どもなのに働いてかわいそう、そういうふうには思わないようにしようと思った。それは外からみた者にはわからない。

お正月の二日。この日の夜はどこも予約がいっぱいでお店に入れず、私達は歩くのに疲れて、サントドミンゴ教会前の広場で屋台のものを食べることにした。夫はハンバーガーを買った。屋台の少年は、オーダーを受けてから鉄板の上でパンを温めて、バンズをじっくり焼き、タマネギやパイナップルの薄切りを挟んで、とても丁寧にハンバーガーを作ってくれた。それは、これまで食べたどのハンバーガーよりも美味しいということで、夫と私は意見が一致した。

私はトウモロコシを食べた。焼きトウモロコシが食べたかったのだが、茹でしかなかった。お湯に浸かっているトウモロコシを取り出して、皮を剥いて、全体にマヨネーズを塗りたくり、そこにチーズをまぶして、ライムを絞り、チリパウダーをかけて完成。ケソ(チーズ)?ラァイム?チイリイ?と一つ一つ必要か聞いてくれる。チリだけ遠慮して、1本丸ごとのトウモロコシを受け取った。

トウモロコシは、驚くほど穀物の味がした。ほとんどすでにトルティーヤで、日本の夏に食べる、甘くてみずみずしくて果物みたいなトウモロコシとは全くの別物だった。一粒一粒がもっちりしている。かぶりついた一口を噛み砕いて飲み込むまでに、かなり時間がかかった。顎が疲れる。どんどんお腹にたまっていく。一口が重い。メキシコのトウモロコシは穀物なのだった。

広場の外れでは、りんご飴を売っているおじさんが、風車を売っているおじさんとさっきからずっと話し込んでいる。ずいぶんと仲が良い。りんご飴は、あの真っ赤なチリソースで固められている。