『シン・ゴジラ』と日本を離れる

 

新婚旅行でメキシコに行った。

結論からいうと、素晴らしく面白い場所だった。

 

出発したのはクリスマスイブの12月24日、成田空港に行くのは10年ぶりだった。私はその間ずっと海外旅行をしていない。空港は空いていて、西日が心細さをかきたてた。すでに外国が始まっていた。構内は天井が高くてだだっ広く、チェックインを済ませる機械も英語表記のみ、航空券も英語表記のみ。突き放されている感じがする。案の定、夫婦で搭乗時刻を読み間違えていてアナウンスで呼ばれてしまった。

飛行機の中ではおとなしく映画を観た。往路は「シン・ゴジラ」と「SUICIDE SQUAD」の2本。「シン・ゴジラ」はグローバリズムとテクノロジーと荒ぶるの神についての映画だった。昨年のイギリスのBrexitやアメリカの大統領選挙について音楽批評家の柴那典が書いていたことを思い出した。かいつまんでいうと、どちらの選挙も、グローバル化によって金融やテクノロジー産業などの「オープンになっていく世界」と工業などの「閉ざされて行く世界」の対立が如実に現れたもので、結果からすると昨年の選挙においては後者の”面白くない”という感情に訴えた方が勝ったという記事だったのだけれど、「シン・ゴジラ」は前者のオープンになっていく世界の利を描いていた。所属、年齢、性別などの属性が無効な場を作り能力だけを重視する、重要な情報は秘匿するのではなく公開して共有する、インターネットを利用して全世界へ協力を要請し有用な情報を集める、そうして全力で人類が結託すれば脅威に立ち向かえる、完全な解決は訪れないのだけれど。だから日本もやればできるということではなくて、グローバル化の利を活かす人材とそれを妨げる力がなければ”できることがある”。国際的な脅威に対して日本が犠牲になるのも止む無しの場面があり、それを解決したのはグローバリズムの利でありそれを知っている世代だったというふうに観た。

「シン・ゴジラ」のキャッチコピーは“現実( ニッポン) 対 虚構(ゴジラ)”だけど、逆だろう。ゴジラは人間が生み出したものながら制御できない力で、広い意味での災害、現実だ。それに立ち向かうニッポンという国家は、人間の意識の中にだけある虚構だ。私達はこの虚構を理解し共有する知性のもと、共同して生きることができている。ただニッポン対災害の図式でみれば、映画の中でのニッポンという国は負けたように見えた。日本的な曖昧さ、責任回避、決断の遅さを持つ体制がゴジラの攻撃によって壊滅して、残った人でやるしかなくなった。国際社会の中で日本という国には核攻撃やむなしという判断が下されて、その判断に対して日本人だけでは間に合わなかった、勝ったのは“日本人”ではなく、オープンになっていく世界の側の住人と、国家を超えて繫がるフラットな価値観と、テクノロジーだと思った。しかしこのゴジラは、原子力の利用というテクノロジーが生み出したものでもある。テクノロジーはどう考えても諸刃の刃だ。おかげで私達はとても死ににくく、暮らしは便利になったけれど、そのぶん身一つの身体は脆弱になっているし、世界中の原発なり原子力爆弾なりが爆発すれば私たちは壊滅する、そんなものも作り出してしまった。それは人間の知性が生み出してしまう二次的な自然の脅威じゃないんだろうか。人間だって自然の一部なのだから、人間が作り出すものものまた、自然の一部ではないか、ということを考え始めると人間と自然の関係がねじれていつもよくわからなくなるのだけど、一方向へ向かう流れ、制御できない力を生み出してしまう力学、人間は自分たちの中にもコントロールできない自然を抱えている。その象徴であるゴジラは日本の神話に出てくる荒ぶる神<自然>だ。ゴジラは人間の作り出したものであること、退治するのはスサノオノミコトではなく人間同士の協力と知性であること、荒ぶる神は完全に退治されるのではなく首都にありつづけることなど、神話よりもずっと複雑だけれど、でもテーマには日本の神話が隠されていると思った。

一方の「SUICIDE SQUAD」は愛が全てという主張が伝わってくる、意外と新婚旅行にぴったりな映画で、けっこう好きだった。

成田を出発した飛行機は13時間後にアトランタに到着した。アトランタでは空港で働く黒人が格好良くて驚いた。彼らは背が高かったり、太っていたり、男性も女性も様々だが、目にする人の佇まいが全て魅力的だった。身体付きが堂々としていて、皆立っているだけでもどこかリズムをとっているような軽やかさがある。たぶん実際にリズムをとっていたと思う。歌いながら作業している人もいた。笑う、歌う、明るい。髪型もそれぞれに凝っている。生来の体型の力強さと、制服を着こなす洗練がある。半分刈り上げで半分おかっぱという髪型があんなにに似合う人が他にいるだろうか。アメリカにいる黒人だからああいう洗練があるんじゃないかと思うと、俄然アメリカに興味が沸いた。

成田を出てからの旅程は順調で、時差のおかげでラッキーなことに24日のうちにメキシコシティに到着した。あれだけ移動してまだ今日なのだから得している。メキシコの空港では思ったよりずっと英語が通じなかったけど(発音が悪いんだろう)、不思議と成田空港で感じたよそよそしさも心細さもなかった。ただ、タクシーの運転手がウィンカーも出さずどんどん車線変更しながら、一般道で80~100km出して走るのが怖くて、心細さよりもずっと具体的な、死にたくない、生きて帰りたいという緊張を感じた。

ホテルに着いたのは夜中の1時過ぎで、すぐに寝た。

2017年03月01日