話しかけること、謝ること

 

10月29日(火)

あいかわらず娘がかわいい。

とても穏やかな性格で、理解が速くて、今のところ、とても育てやすい、タイプだと思う。これはほとんど娘のもって生まれたものだろうけれど、やってきたことで、良かったんだろうなあと思うのは、お腹にいるときから生まれて今日まで、ずっと話しかけてきたこと。

お腹の中にいるときはわたしの興味関心のあることを。だけど頭の中というよりは、外を歩いていて、紅葉がきれいだとか、枝の形が面白いとか、目に入ったものを言葉にすることが多かった。というか、話しかけた方がいいらしい、というところから、何話すかいなーと思うと、家にいるとそんなに言うことがなくて、外を歩いていると伝えたいことがたくさんあったので、外ってやっぱ情報量多いんだな、散歩っていいな、と思ったりした。

生まれてきてからは、娘がいま見ているもの、聞いているもの、食べているもの、注意を向けているものについてを。できるだけ言葉にしてきた。

娘が葉っぱを手に持って見ている。葉っぱだねえ。緑色だねえ。生まれたてでツルツルしてるねえ。お、こまかくちぎれるねえ。ちぎってるねえ。など話しかけると、めちゃくちゃ嬉しそうな顔をする。こちらにも幸せをくれる笑顔。そんなに嬉しいのかいっていう笑顔。

身体を洗うときには、あたまいくよー、つぎかおでーす、流すよー、洗うよ〜、くび〜、かた〜、むね〜、おなか〜、にのうで〜、わきのした〜、ひじ〜、ひじのうちがわ〜、うで〜、てくび〜、もも〜、ひざ〜、ひざのうら〜、すね〜、ふくらはぎ〜、くるぶし〜、あしのうら〜、こう〜、ゆびのあいだ〜、おしり〜、おまた〜、とできるだけ細かなパーツを言いながら洗ったり。

この語りかけは、娘の穏やかさと理解の速さにも寄与してきたのではないかなあ。話しかけながら一緒にいるというのは、光景としてもいい感じがするところからも、いいことなんだろうなあ、と思う。

無理して意図してやらなくてもやってるものなんだと思うけど、意図してもしてなくても、育児における同じものに興味を向けつつの、語りかけ、おすすめです。

 

10月30日(火)

昨日の夜、おままごとの野菜をひたすら切って遊んでいた娘。切ってくっつけて切って、切ってくっつけて切って、ザクザクザクザク、木でできたパーツを結びつけているマジックテープを切り離して、トマト、レモン、人参、かぶ、パン、オレンジ、洋梨、卵、を床に散りばめていく。

リィモン。いんじん。パン!自分でもしゃべりながら。どんどん野菜が切られて細かくなっていくのは、料理の下ごしらえを見てるみたいで気持ちがいい。切ったものをお皿に乗っけて食べる真似をして、もぐもぐ口を動かして、「美味しい」と言ったり。そのエア食べが超かわいかったり。わたしは一緒に食べる真似をしたり。洗濯物を畳んだり。

というかんじで遊んでいて7時半くらいになったので、そろそろだなと、「お風呂洗ってくるね」と言って、お風呂を洗いにいった。お風呂までついてくることが多いけど、昨日はこなかった。こないなあ、がしゃがしゃ音がしてるなあ、と思った。もしかして。まさか。

洗い終わってリビングに戻ると、おままごと道具がおもちゃ箱に集められて、きれいに片付けられていたのだった。びっくりした。なんてことでしょう。なんてデキる子なんでしょう。予測行動ができてる。デキるサラリーマンか。仕事のデキる人か。

言わなくてもことが進んでいくこの感じ、フォーメーションがあるかんじ、すごく気持ちがいい!

なんだか凄い子だなあと思った。夫婦ってこれがけっこうできなかったりする。今やってほしいんだけどなあ。あとでやるんだったらこっちでやってしまいたいんだよなあ。とかって、なりがちじゃないか。

片付けをしてえらい、というのもあるが、流れをつかんでいること、一緒にいる人を気持ちよくさせることが、凄いことだと思った。

 

10月31日(木)

昨日の夜は娘がわたしの瞼をぐりっとひっぱって、裏返すような動作をしたのがすごく痛かったので、謝りなさいと叱った。すると泣いた。どうして悪いことなのか説明する間、笑ったり、わたしにぶちゅーっとしたりしつつ、なかなか謝ることができなかったのだけど、なんども説明したら、10分後くらいにやっとぺこりと頭を下げた。

なんで泣くんだろうか。自分でも悪いことをしてしまったと思うからなのか。わざとじゃない、悪いことしようとしたわけじゃないのに、ということなのか。どっちだろう。夫は前者だろうというのだけど、わたしは後者かなあと思う。

悪いことをしようと思ったわけじゃなくても、相手にとって痛かったり嫌な気持ちにさせることだったら、謝らないといけないんだよ。というような、なんでなのかっていう説明って、すごく難しい。倫理的なことは特に。それはなんで?それはなんで?って考えていくと、自分でもよくわからなくなる。というか倫理的なことって、論理以前の問題というか、ダメなものはダメなんだっていうところに最終的にはなるものだから、説明するのが難しい。

あと、謝るまで時間がかかるのは、娘は悪いことをしたらペコリすることは動作として覚えているのだから、それがなかなかできないというのは、プライドの問題なんだろうか。それともそれをするんだって結びつくのにまだ時間がかかるんだろうか。

自分が思う悪いことをしたわけじゃないから謝りたくない、ということなんだとしたら、子どもなりに筋が通っている感じもして、それはそれで面白い。でも謝らないといけないんだよということを、きちんと説明することって、やっぱりすごく難しい気がするが、態度としてはそういうときでも謝るんだよということを毅然と伝えないといかんよなと思う。