この海が子どもの海

 

7月29日(月)

私が関わる領域は後継者不足がいわれることが多い。地場産業と、最近はお寺にいく機会も増えているのだが、信徒さんというのもそうだし。

時代に合ってないといえばもちろん合ってない部分があるのだろうが、それは今の時代に合わせてできたものではなくてずっと昔から続いてきたものということであって、起きてなくなるものなんていくらでもあるそういうものだらけな世のなかで、続いてきてるものだ。

時代に合ってないって、合わせる必要のないものだってあるはずで。続いてきたからといって続けていかなければいけないものではないと思うけど、合ってないからってなくなっていいというものでもない。

 

7月30日(火)

高岡の七夕は旧暦でやるので、8月に七夕祭りがあって、その日に向けて、商店街に大きな七夕飾りが街路樹くらいの間隔でたくさん飾られている。のだけど、それが人工的というか、そりゃあ雨も降るし風も吹く中、長持ちするものでないとというのはわかるのだが、蛍光色の、赤、オレンジ、黄色、ピンク、青、緑のビニールでできた短冊が、こちらは本物の色褪せてカサカサ音が聞こえてきそうな笹に飾られているのが飾りというものに見えないというか、正直ゴミっぽいというか、夏祭りの情緒は皆無で、まったくきれいじゃない。

紙がビニールなのは仕方ないとしてアースカラーにできないのかと思うけど、脱プラスチックが言われ始めている昨今、素材も思い切って改めて、飾る数を厳選して減らして、本物の良い和紙、手漉きで素材にも混じり気のない、それこそ富山の五箇山和紙を使えば、一月はもつのでは。

 

7月31日(水)

一ヶ月が31日まであるとなんとなく得した気分になる。来月も31日まであるのが嬉しい。

お寺に行った記事をまとめているのだが、輪番さんのお話がとても良くて、仏教に前よりも好意的な興味が湧いてきている。

 

8月1日(木)

一緒に仕事をしているepiphany worksさんが企画のトークイベントでD&DEPARTMENT富山へ。「わかりやすい民藝」というテーマで、ご住職であり民藝協会常任理事の太田浩史さんと、ナガオカケンメイさんの対談。ナガオカさん、前職のレセプションで始めてお会いした時、あまりに人懐こくキラキラした子どもみたいなお顔つきにびっくりしたけど、変わらずキラキラされていた。あんなに懐こい子どもみたいなキラキラした人は他に見たことがない。

太田ご住職も話しぶりの佇まいが素晴らしく、噺家のような心地良いずっと聴いていたいトーンをお持ちで、お顔をくしゃくしゃにして笑われるのがものすごくチャーミングだった。

富山は出西窯や益子のような民藝に関係する産地ではないが、柳宗悦や民藝の作家たちと深い繋がりのある土地だ。おそらく、ここには信仰という形をとった民藝がある、あった。民藝運動に関わった人たちはそのことを見出し、それが民藝運動を新しい次元へ方向づけた、とされる。

ということがだんだん、少しずつ、わかってきたというか、言葉がちゃんと中身をともなって染み込んできつつある。

イベント後、会場にいた太田さんに、大きな存在というのはわかるが、人格を持った救ってくれる存在というのはいるわけないと思ってしまうのだが、それはどうなんですかと尋ねたところ、それは言いようがないからそう説明しているのであって、本当はそういう存在というのはいわんとしていることから一番遠いもの、本当は人格をもった何者かではなくて、ただ大きな流れとか、そういうもののこと、と答えてくれた。

仏教にも色々あるのだろうから、そう考えないお坊さんもいるかもしれないけど、太田さんのいわれたことはあまりにもストンと腑に落ちて、でもわからないことが増えた感じもして、仏教にまた好意的な興味が増した。

太田さんはとても素敵な人で、もっともっと話したいし、子どもにも会わせたい、これから何度でも、子どもが大きくなるまで一緒にお寺に行って、話を聞きたい、知りたいと思った。そのためにお寺の近くに住みたいから、南砺に住むのもいいなあと思った。

仏教はもう歴史も長いし体系も広大だし仏教に関係する末端事業なんてありすぎるくらいだと思うが、その一端である仏事、法事とかでお寺のお坊さんの話が面白かったことがなくて、ただお金をずいぶん取られるものだなというイメージだったり、宗教のイメージが怪しげ、人を騙したりのめり込ませて不幸にしたり場合によっては盲信によってテロを起こしたり集団自殺させたりという、とんでもなくマイナスなことを考えてしまうのは、レベルの低いもの、偽物が溢れているからかもしれないと思った。仏教=太田さんのようなお坊さんというイメージが先にあれば、宗教ときくとまず警戒するということにはならない。

ただ、宗教全体ではなく仏教に限ったとしても、体系が広大なものって末端も広大にあるから、その全ての質を保つというのは難しい、たとえば仏具店も仏教のイメージを負うものだとして、仏教のイメージアップに寄与する仏具店しかない、みたいな事態って考えるだけでも難しいと思う。

親鸞とか法然とか歴史に名の残る宗教者というのは、そういう局面を打開してきた人なんだろう。

 

8月2日(金)

だるくて身体に力が入らない。もうすぐ月のものがやってくる予感。

 

8月3日(土)

子どもを連れて氷見の海で海水浴。水がすごくきれいで、緑も青々と美しく、道すがらにある家は黒い瓦屋根が重厚な田舎家という、ザ漁師町、ザ日本の夏休みというような景色で、これが子どもにとってのデフォルトの海になるというのが、なんかすごいことだと思った。

いまは都会に行こうと思えばすぐ行けるから、田舎と都会の行き来はあるものとして、住まいの選択はどちらを非日常にするということなのかなと思う。私は郊外育ちで、都会のど真ん中に住んでたわけではないけど、どちらかといえば田舎よりも都会が近い場所で育ったので、田舎の景色には夏休みに旅行で、わざわざ観光へ出掛けるキラキラした非日常の場所というイメージがどうやらあるので、そういう非日常が娘にとっては日常になりそうなことに、おぉと高まるものがあるんだろう。

ということは娘にとっては逆のことが起きるんだろうか。都会=キラキラ、という。ただ同じ家で育ってもそのあたりの感覚は私と弟では違ったりするから、娘が土地についてどういう感覚を持つようになるのかはまあ、わからない。

海水浴をしてから、海辺の公園でやっていた夏祭りで焼きそばを食べて、家に帰って昼寝して、子どもを夫に預けて図書館で読書をして、近所の美味しいカレー屋さんで合流してカレーを食べてラッシーを飲むという最高すぎる夏の1日だった。

 

8月4日(日)

夕飯を食べているときに、夕飯は豚の生姜焼きと白菜の胡麻和えとだし(キュウリとオクラの細かく切ったものと薬味を混ぜた山形の郷土料理、山形には特に所縁はないけど夏になるとよくつくる)とトマトだったのだけど、豚の生姜焼きを食べた娘が、「おいし」と言って、両手でほっぺたをおさえるポーズをした。私と夫の二人がいるのが嬉しいみたいでテンションが上がっていて、おいしい発語&ポーズ、というのを何度もやった。思わず泣いた。

生きてて良かったと思った。生まれてこなかったらこなかっただよなあと、生まれたいと思って生まれてきた人なんて誰もいないよなあと思ったりもするけど、じゃあなんで産んだかと言われると、特に思想はなく、むしろ産むことに思想はいらないと思った、それはかなり強い感覚としてあるものだったし今も変わらないから、なんだけど、ほんっとうに嬉しいことがあると、生きてて良かったと思うものだ。

子どもの存在感、力ってほんとうに圧倒的なものがある。「おいしい」の一言で、娘以上に私を喜ばせられる人はいない。

海も、海自体は正直私にはきつかったというか、日差しが強すぎてすぐに帰りたくなってしまったが、娘が楽しんでいたので、私もめちゃくちゃに楽しかった。ほんとうに行って良かったと思った。