胎内記憶

 

娘をみていると、胎内記憶はある、と思う。言葉で叙述するような出来事記憶についてはわからないけど、身体が覚えていることがあるのは、ほとんどの赤ちゃんがそうだろうと。

四ヶ月になる娘は一人で寝られない。眠気が不快でたまらないようで、眠気がくるたび、目をこすりあくびをしながら、辛そうに泣く。

赤ちゃんは一人で寝られない、寝られる子もいるけどそうでなくても普通というのは子どもができてから知ったことで、新鮮な驚きがあったけれども、こんなに何もできない、全く移動できない身体でストンと眠りに落ちてしまったら、野生下では命が危ないから、考えてみればそれももっともではある。

だから寝られない赤ちゃんは甘えん坊やさみしがりやなのではなく、安心して眠れる人間界に慣れていない、野性味の抜けない赤ちゃんなのかなと思ったりする。

そんな彼女を眠らせるのはビニール袋をガサゴソさせる音で、ビニール袋は自然界にはないものだけどと思いながら、私は袋を摩擦させて音を出す。この音が鳴っていると、だんだん目がとろんとしていって、まぶたがパタパタ落ちるようになって、閉じたまま開かなくなる。音に包まれるような感触だろうと想像する。音の物質性を感じる。

ビニール袋の摩擦音やテレビの砂嵐などのホワイトノイズは、お腹の中で聞いていた音に近いものらしい。ほかにも、おくるみでくるむこと、身体をぎゅっとちいさくまるめること、おしゃぶり、ゆびしゃぶり、抱っこひもやベビーカーやチャイルドシートやハイローチェアやゆりかごで揺られることなどなど、赤ちゃん、特に月齢の低い子を落ち着かせるアイテムはどれも胎内の環境に近いもの、胎内で聞いてた音、とってた体勢、さらされてた揺れ、の再現だと思った。

落ち着かせるものがそのまま寝かしつけに有効でもあるのは、ノイズや揺られている状態と、寝ることが、胎内では結びついていたからだろう。身体がそれを覚えているのだ。

赤ちゃんは生まれた時から急に存在し始めるのではなくて、お腹の中にいるときから、その子としての生が始まっている。母親のお腹から出てくる前と後の赤ちゃんは連続した存在で、記憶として蓄積されたものを持っている。娘をみていたらそのことがよくわかって、胎内記憶というものが、まったくもってあたりまえのものだと思えてきた。