熊と私

 

昨夜、夫に暴力をはたらいてしまった。

娘は寝ることがまだ下手で、今のところ、一度寝ればその後は長く寝られるのだが、寝つくまでに時間がかかる。昨日は眠りばなのところで目覚めてしまったようで、寝室から泣き声がきこえてきた。行こうとする私に、「一人で寝られるようになったほうがいいから放っておこう」と言う夫。

「そういうものじゃないよ、見えないところで泣かせっぱなしは良くないよ」

「それはあくまでも君の考えだろう」

「違うって」

この会話分の初動の遅れのせいで泣きがヒートアップした娘、その後再び寝られるまでかなりの時間がかかってしまった。

寝かしつけに疲れてそのまま寝たいのを我慢して、夫に、今まで一人で寝られていない赤ちゃんが少し放っておかれたくらいで寝られるようにはならないこと、少なくともうちの娘はそうならないだろうこと、泣かせるほど興奮と覚醒が強まってその後の入眠が難しくなること、泣かせる式のねんねトレーニングはあるけれどそれには入室と退室を何分おきに繰り返してどうのこうのというやり方があるらしくきちんと調べずにやるのは怖いこと、もしもただ諦めて泣き止むのなら、そういう日が一日あったくらいでは影響はないだろうけれど、自分の泣き声が届かない、泣いても意味がないと赤ちゃんが学習してしまうのはとてもとても怖いこと、信頼関係が築けなくなってしまうかもしれないのだから、ほっとけばいつか泣き止むという考えはやめてほしい、などなど説明する。

夫はわかった、わかった、と聞いて、理解し合えて、話は終わったように思えた。通じて良かった。そう思った私は笑顔になったらしい。それを見た夫は

「気が済んだの?」と言った。

私は自分の溜飲をさげるために説明したわけじゃない…

「いだっっっっっ」

頭にきた私は寝転がっていた夫の足をガギュっと踵で踏んづけた。

夫は基本善人であり、娘の世話も家事もよくするし、娘が生まれてからはとても意識的に早く帰ってきて、家を優先して動いていることは重々承知して感謝もしているのだが、ただ人の神経を逆なでする発言をすることも得意で、私が怒るその反応を楽しんでいる節がある。

そのリアクションとして、昨日は足が出た。そんなことは初めてで、私は冒険もの、サバイバルもののマンガや映画に出て来る熊を思い出した。山の中で出会って、「子どもを連れてるメスだ、気をつけろ」と言われる、あの熊だ。

子どもの世話をする中で分泌される愛情ホルモンは、同時に動物を凶暴化させる働きも持つらしい。子育て中のメスは気が立ちやすいものなのだ。足が出たのはあの熊と一緒だ。だから子連れの熊には気をつけなければいけないのだ。

だからといって蹴って良い理由にはならないし、足が出たことは猛省すべきことだけど、なんで子連れの熊が危険なのか。自分と熊とが繫がった。

妊娠して以来、自分も動物であること、ヒトも動物であること、自分の中の動物的側面を実感することが、本当に増えている。