生まれた日のこと 2

 

震えは夫に身体をおさえてもらったり、腕をあっためてもらったりすると少し落ち着いた。でも痛みは強まるばかり。フランス革命や百姓一揆のイメージは消えて、波に乗るとか逃がすとかそういうことを考える。痛みに包まれるというのはない。子宮が頑張ってるというようなことを外部化して感じるのも難しい。痛みを自分から切り離せない。

夫が「痛みを受け流せ。スルーしろ。メッシやメッシ」と言う。私はメッシはわからんと思って「メッシはわからないからチャナティップにするわ。あのドリブルね、敵すり抜けてボール運んでくかんじ」と返す。チャナティップはコンサドーレ札幌に移籍して来たタイのメッシといわれる選手で、札幌在住時に何度か試合を観て知っていたのだった。思い返すと自分の素直さが笑えるけど、それは痛みを軽減するためには何でも試したいという必死さで、あとは絞り染めの手ぬぐいを手に持っていたので、その波のようなゆらぎのある模様をみると少し落ち着く気がした。

分娩台に乗る前の準備として、点滴がされる。緊急帝王切開等になった場合の輸血等に備えてのものらしいのだけど、私の腕の血管が細くて見つからず、二回失敗。採血のそれに比べると針が太いのでとても痛い。二回失敗したらもうできないので、と人が代わって、ないわねないわね、と探される。別のところに強い痛みがあるとお腹の痛みが逸らされるような、でも痛い。相変わらず身体の震えもあって、針もさされて、しかも何回やるのかという感じで、混乱してくる。なんとか血管がみつかって点滴装着。

陣痛はどんどん強くなっていく。もうただの拷問だと思う。本当に。どうしてヒトはこうなってしまったんだろう。この痛みを肯定的に捉えるなんて無理。もう無理。本当に無理。あんなに痛いなら無痛分娩にすれば良かった、と言っていた友人には心から同意すると思い、まあ大丈夫だろうと思っていた自分を深く反省、痛みを知らなかった自分に戻りたい、この先さらに強いのが待ってるなんて、など考える。辛いのは震えのほうで、いやでも痛いのも辛い。

だんだん、痛みのたびに声を出したくなってくる。「いたいーーーゔぉーーーおーーーゔぉーーー」と唸り始める。発散したい何かが身体の中に生じる。

 

午後11時半頃

子宮口チェックでほぼ全開、10cmというやつになる。ちょうどトイレに行きたかったので行くことに。いい感じに尿が出る。そこまでは良かったけど、ずっとおしるしも出続けていて、それでナプキンの装着がうまくいかなくてショーツが血まみれになって、それを訴えて新しいのを持ってきてもらうんだけど、ショーツを履き替えるのを激痛の合間にやるのが凄く難しくて、履こうとする→痛みで動けない、と三回くらい繰り返す。「次痛みが引いたら出てきましょう」と外から声をかけられつつ、「いたいーうーおーうー」を何度もやった。

そしてなんとかトイレを出て、分娩台へ。よし、あと少し。よくここまできた。あと少し。「あと少しだね」と夫にいうと「いや、ちえちゃん、ここから三時間やで」と分娩の流れについて書いてあるテキストを冷静に指し示す夫。

あと三時間!!絶望的な気持ちになる。この時の痛みは内側からものすごい力、固さのあるもので圧される痛みで、内側から骨を砕かれるような感覚、身体の前後両方が痛い、そして今までで一番強い、一昨日の妊婦さんの叫びの意味がわかる。

体験談など読んでいると「ひとおもいに殺ってくれ!と思いました」てきなのがたまにあるけど、それもわかる。ほんとにただの拷問。プラスに捉えるなんて不可能。ただの痛みでしかない。それがあと三時間。

が、助産師さんが「それは長い人の場合なんで、長くて三時間ですから」とフォローしてくれる。

「大きい声出してもいいですか」

「誰もいないから大丈夫ですよ」

というやりとりをする。確認する冷静さはやっぱりあるのだった。

「いたいーうーおーうー」で1セット、「がんばろう」とお腹の子にも声をかけてみる。あまりの痛みに息が止まりそうになるけど、なんとか息をする。

すごくいきみたくなる。圧してくる力を外に出したい。「もういきんでいい」と言い残して助産師はどこかにいなくなる、ああもういいんだ、と思って、痛みにあわせていきむこと2、3回で助産師戻ってくる。

そして子宮口チェック、「もうすぐそこに頭がきてる!驚」ということで、医者と看護師とわらわら、さっきまで一人ずつあらわれていた人たちが全員揃う。医者一人、助産師一人、看護師三人。なにかのチームのよう。ゲーム(試合)のクライマックスというかんじになる。

待ってましたと待ち構える医師になかば自動的に会陰切開がされて、その後数回のいきみであっという間に子どもが出てきた。「はやい!」とチームメイトたちが驚く。分娩台に乗ってからは15分〜30分くらい、だったと思う。身体はかわらず震えていたが、しかし、終わった。

自分の身体から出たものは、角度的によく見えなくて、ただどろーーーんと、子どもと、へその緒と、胎盤と、いろんなものが、手品師が口からハンカチをずるずる引き出すように、続けて出てくるのを感じた。

すぐに子どもをみせられて、さわらせてもらえた。ただ意外と感動しなかった。他人の出産を別室で聞いていたときのほうが泣けた。子どもの顔をみても、実感があるようなないような、ただ終わって安心した、という気持ちだった。そばに立っていた夫の息が臭かった、口の中が乾燥したんだろう、伝えると、自分でもわかる、と言っていた。

一旦看護師に別室へ連れていかれた娘はすぐに戻ってきて、私と夫と娘三人の写真をとってくれた。そして娘を抱かせてくれた。夫も娘を抱いた。そのあと2時間、私は分娩台の上に寝て、夫は娘の写真を撮ったり、話したり、出生証明書について相談したりした。

とにかく、終わった。終わって良かった。

夫と娘と三人で頑張った実感があった。良いお産だった。私はひとしごと終えた充足感に満たされていた。娘も頑張った、うまく身体を旋回させてきたと思うと嬉しかった。身体中が痛く、震えもまだ止まっていなかったけれど、私はとても満足していた。

生まれたての子どもからはホカホカと湯気が立っていて、試合後のプロレスラーみたいだと思った。どこかおじさんじみていた。子どもは一旦ナースステーションに預けられ、夫は家に帰り、私は一人になった。トイレの中で、私はおじさんみたいな子どもでもかわいくしてみせる、その子の雰囲気に沿う、良さを引き出すいでたちをさせれば大丈夫だ、かわいいは作れる。そう決意していた。