生まれた日のこと 1

 

地味な、でも規則的な痛みは夜からあった。これはもしかするのかな、と思って寝たのが20日の夜。

 

春分の日 21日 午前4時

規則的な生理痛のような痛み。痛いけれどどこかじんわりとした温かみもあるような、前向きに捉えられそうな痛さ。この収縮に包まれる子ども、自分があたたかいエネルギーに包まれて心地よいようなイメージができる。

明らかに規則性のある、これまでと違う痛みなので札幌にいる夫に連絡。ひとまず空港までの移動を頼みつつ、これが本陣痛なのかまだ確信はなかったけど、バスの中でもうチケットを買うよということなので、そうであることに賭ける。痛みはたまに15分、20分と間隔をあけつつ、だいたい10分おきにきていた。

 

午前9時

健診の予約が入っていたので産院へ。この日は春には珍しい雪が降っていて、産院へ向かう車中から桜に降る雪をみた。

産院では陣痛がきていると伝えるも、NSTに強い張りが記録されなかったり、ここにきて痛みの間隔が遠のいたりして、今日はまだ出てこないだろう、と言われる。天気の大きく崩れる日と満月、新月のときにはお産が集中するらしいのだけど、この日はその低気圧がきている日で、陣痛室にはすでに4人の妊婦さんがいたらしく、なかには破水している人もいるからあなたの優先度は低いみたいなことを暗に示されて帰らされた。私はだいぶ涼しい顔をしていたらしく、陣痛の痛みはそんなもんじゃない、立ってられないよ、と言われたけど立ってられなかったら病院来られないですけどと思いつつ帰る。この時点で子宮口3cm。

 

午前10時半

帰宅。鈍い痛みが続く。30分、15分とたまにムラがありつつ陣痛間隔はだいたい10分なのに帰らされたということは、これは本陣痛とみなされないのかな、夫を呼んでしまったけれどどうしよう、と多少へこみつつ、しかし規則性はあるわけで、今日出てくる気がする、と気を取り直す。祝日だったので両親も家にいて、箱根の山道で立ち往生する車、上野公園の桜に降る雪など、居間のコタツで雪のニュースを一緒にみていた。関東では珍しいくらいのけっこうな雪だった。

 

午後12時半

夫が到着する。雪だから、と傘をささずに駅から歩いて来たらしくずぶ濡れ。札幌の雪とは違うのだけども。起きてからずっとiphoneのアプリで記録している陣痛は10分間隔で落ち着いている。夫も一緒にコタツに入って、ニュースみたり寝たりそれぞれ過ごす。テレビに雪の中お墓参りをする家族が映されて、父が急にぼたもちを作ろうと言い出して、いやこれから作るのは大変でしょう、と両親が買いに出掛けて、景気づけに食べておこうということで、四人でぼたもちを食べた。引き続きお腹は痛いけれどまだ余裕のある痛み。

 

午後3時半

陣痛が続いているので産院へ電話。いつもはすぐとられる電話のコールが長く続いて、忙しそう。やっと繫がった電話口で状態を伝えると、来てもいいし、耐えられそうならまだ家にいてもいい、と言われる。忙しそうなのでもう少し家で耐えることにする。

夫が陣痛ログをみて、だいたい7〜8分の間隔のなかに2分があったり15分があったりするのを、「ムラがあるからまだやな、この2分ておかしいやろ」など、冷静に評価してくるので、あなたに陣痛の何がわかるかと思いながら聞き流す。母はテレビをみながら私と弟の生まれた頃のアルバムを引っ張り出して眺めて、はしゃいで楽しそうに話しかけてくるのだけど、私はわりとお腹が痛いのでそれも受け流していた。母はソファに座ってどんどん膝の上にアルバムをのせていって、その重みで動けなくなっていた。

 

午後5時

4分、6分と間隔が短くなって、痛みも強くなってくる。食べたら病院に行こう、体力のために食べておこう、と家族と一緒にシュウマイと豚汁の夕飯を食べた。

 

午後6時過ぎ

そろそろ移動できる限界の痛みということで産院へ再び電話。陣痛間隔、子宮口など入院のための条件クリアということで来てくださーいとなる。夫婦で父に車で送ってもらう。

痛みを感じながら、固い蕾が開くとかそういう美しいイメージはどうも描けなくて、アフリカのヌーの大移動、フランス革命、百姓一揆、打こわし、などが浮かんでくる。じんわり放射状に広がっていくのではなくて、大きなエネルギーが身体を駆け抜けていく感じ。

 

午後7時

産院に到着すると、すでにこの日は四人の赤ちゃんが生まれていて、コットに入れられてナースステーション横に並んでいた。涙ぐむ夫。私は服など着替えて、いよいよ入院開始。この時点で子宮口は4cm、けっこう耐えたと思ったけどまだ4cmかーと落胆したときの私はあの程度で耐えたと思ったなんてその後の痛みについて全然わかってなかった。

陣痛室にはiphoneを持ち込めないので「痛みきました」「ひきました」と口頭で伝えるのを夫が記録してくれる。ここで主に5分間隔。痛いけれど、そのあいまに寝たり、夫のことを気遣ったりして、まだ余裕があった。子宮のほうの前側が痛いときと、腰側の座骨のあたりが痛い時とがあって、腰が痛い時はさすってもらうと楽になった。

隣のベッドにいた妊婦さんが分娩台へ移動。二人目の出産らしい。とても静か。ほどなくして産声が聞こえて、夫と二人で涙ぐんだ。

少しずつ、確実に、痛みがどんどん強くなっていく。これが二分おきにおとずれるってやばい、と事態の大変さにやっと気づく。朝方感じられた、じーんとするような暖かみのある痛みでは全くなくなってくる。ちょっと痛みをナメてたなと反省。皆これに耐えてきたの?ほんとに??

痛い時は声を出していい、ストレス発散するように、ただ高い声で叫ぶと息が詰まるので低い声で、と聞いていたので試みるも、この時点ではまだ音にせず息だけの呼吸を深くするほうが楽だった。音声を出すってエネルギーがいるのだと知る。

 

午後9時

子宮口がチェックされて、7cm。着実に進んではいるけどまだ全開じゃないことに、嬉しいようながっかりのような、とにかくまだ痛みに耐えなければいけない。その後すぐに医師による内診。痛みの波が引いているときのそれは大丈夫だったのだけど、波がきているときにもする必要があるらしく、それが大変な激痛で、それをきっかけに以後、波の引いた時に身体中が震えるようになってしまう。

歯がガタガタ鳴って、手足ガクガク、酷い汗。寒いのでは、と助産師が着替えさせてくれたりタオルケットを余計にかけてくれたりするけど、それでおさまる気配は全くない。別の看護師が来た時に震えることを訴えると、身体に余計な力が入っているからだという。うーん、違うような気がするなー、と腑に落ちない。というのも力を抜くほど震える。痛みの波がくると身体がそこに集中するので震えはおさまって、ある意味で楽になる。波の引いた時に休めなくてむしろ身体が勝手に揺れてしまうのがとても消耗する。疲れる。

痛みをナメてたから、想像してなかった痛みに身体と心が噛み合なくなってるのか、これが二分間隔になるってどうなってしまうのっていう恐怖心なのか、さっきの陣痛+内診という痛いのにさらに痛めつけられたことへの恐怖心なのか、身体が子宮の強い収縮についていけてないのか、なんでヒトは難産なのか調べて痛みについてわかったような気になってたけど頭で理解するのと実際感じるのは全然違って痛みを予想なんてできないんだけど予想を超えるものがきてるから処理しきれなくて震えてるのかと思って恥ずかしくなる。

PCを持っていた夫に「陣痛 震え」とか検索してよと頼んで調べてもらうも、はっきりした原因はわからず、対策もわからず。

とにかく想像を絶する痛み、というか痛みって想像できないし記憶として後で思い出すこともできないのだ、と思った。こんなの想像できるわけないし、だって体験したことないものへの想像力なんて持てない、など考えていたのはやっぱりどこか冷静でもあって、痛いけどまだいける、私がんばれる、と思っているのに震えは止まらなくて辛かった。

 

つづく