動物と人のあいだ

 

妊娠して、身体は自然の一部だと感じた。私が仕組みを何も知らなくても、教えなくても、身体は生命を育んでいく。

人も動物だとも思った。妊婦になって、感動的なだけじゃない、生々しいことがたくさんあることを知った。

妊婦生活や産院は妊娠前に暮らしていた社会では下ネタになることが堂々と話される、むしろそれが中心になるような場だ。まず、思った以上に何度も内診台にのって、股を開いて、膣に医療機器をいれての診察がある。お腹の上からエコーで赤ちゃんの様子をみるのがほとんどかと思ったら違った。はじめのうちはお腹の上からでは中の様子はわからないようなのと、私の器官に充分な長さや大きさがあるかのチェックや、病気がないかのチェックや、胎盤の位置のチェックや、そういう諸々がある(産院によって多少違いもあるよう)。こうしてチェックしてもらえるのは人間ならではのことだけど、人前で股を開くものじゃないっていう、それは小さい頃から教えられてきたことなんだろうか、感覚的にしみ込んでいる人としての羞恥心が宙に浮く。

赤ちゃんや私の生命の危機に関わる事象の他に、子宮が大きくなることで生じるマイナートラブルもたくさんあって、子宮が他の内臓を圧迫することによる胃もたれ胸焼けの他に、便秘、そこからの痔、頻尿、膀胱炎等のお下の悩みも出てきたりする(もちろん人によるけど仕組み的に妊婦はそういう悩みが出てき易い)。私も軽い膀胱炎になって血尿が出たりした。すごく軽いものだったから産院でもらった薬ですぐに治ったけれど、生理と違うきれいな色の血が股から出てくるのは怖かった。後半は便秘にもなって、これは今も産院でマグネシウムをもらって飲んでいる。

会陰、という言葉も頻出する。これは膣と肛門の間の部分を差す部位で、分娩時に赤ちゃんの出口を広げるために切ったとか切らなくてすんだとか、伸びをよくするマッサージをしておきましょうとか、切った所が痛そうだったとか、妊婦同士、助産師、看護師だけじゃなくて、男の友人でも奥さんが経産婦であれば話題に出てくる。大陰唇、小陰唇と同じような種類の言葉だと思うけど、会陰はなかなか市民権を得ていて、出産にまつわる会話には普通に出てくるのが、妊婦以前の生活と比べると特殊なことに思える。

乳頭、乳房のマッサージを習ったりもする。赤ちゃんが吸える形かどうかの事前チェックもあったりする。初めてまじまじと乳首をみて、へえこんな質感でこんなつぶつぶでこんなふうになってたのか、と思った。今までそんなに良く見たことなんてなかった。おっぱい、という言葉も会陰同様、男の人とも普通に話すようになる。

だからポルノってすごく幻想的な、イマジナルな、ヒトじゃない人社会のものだなと思う。出産時にはいきむことで排便、排尿がおきたり、子どもに胃を蹴られて嘔吐したり、痛みに取り乱したり大声で唸ったりということもあるから、立ち会い出産によって奥さんに性欲を感じられなくなることが人によってはあるらしい。そうならないためにはポルノ描写におかされてない野性的な性欲が必要だ。中平卓馬の「目の前のガニ股とやってやってやりまくれ」という言葉を思い出したりする。

というようなことで、妊娠は、これまで生きてきた人社会とどこか別の層にあるような、動物としてのヒトを実感する機会だと思った。身体の部位、それぞれの言葉の持つ意味が違ってくる。出産を経験したらそれをもっと感じるかもしれない。

ただヒトの、人サイドの社会が洗練されて複雑になっていくにつれて、どんどん動物サイドの話はその立場にならなければわからないことにもなっていく。妊婦になってヒトも動物だと思ったけど、やっぱり人間だなとも思った。私は、裸に近い格好で、集団で仕切りのあるようでない家に住んで、仲間の出産育児を常に目の当たりにする暮らしからずいぶん離れた、プライベートの重視された、個の尊重された、人としての洗練された空間で生きていて、それは快適だけど、自分以外の出産に立ち会うことはたぶんない。清潔で快適で洗練された社会では、人の動物サイドは隠されている。

知らない、見たことがないから怖い、どうしたらいいかわからない、ということがたくさんあるように思う。今は医者に相談できるし、ちょっとしたことはネットで調べられるし(それで終わりにしたら危ないこともたくさんありそうだけれど)、これっていう気になることがあれば親にも友達にも聞けるけど、そのどれも身近で触れてました、見てました、という経験に比べると情報量はずっと劣る。

友人や職場に妊婦、経産婦はいても、会話の中でたとえば下の悩みを話すことはあまりない。分娩時に排便、排尿がおきることがあるなんてことも妊婦になるまで知らなかった。母親からもそういう話は聞いていなかった。妊婦でも経産婦でも、たまたまそういうタイミングにある人が集まってというのでなければ、生々しくない話をするのが一般的だ。生まれた子どもがかわいいとか、感動したこととか、話したいこと、話すのに適してることは他にいくらでもあって尽きないし、下の話をするのってそんなに歓迎されないだろうというか、妊娠出産界では主要な話題でも、外ではそれは「下の話」だという、そういう層の違いが私たちの暮らす社会の中にある。

そういう動物と人のあいだの行き来が、女性っていう性のひとつの大変さなのかなと思ったりする。

ただ大変さは、面白さでもあり。人間が動物であることがなくなることもないのだから、それが人サイドの社会で、例えば仕事をする上で全く役立たないことも、有り得ないはずだと思う。

 

 

※写真は子どものためにつくるおもちゃのフェルトマスコット。縫って綿詰めてモビールにする