ひとつずつできるようになる

 

昨日から臨月になった。自分が妊婦という環境と、年齢的なこともあって、親戚や友人の集まり、役所や産院の教室的なもの、自分で調べる色々なこと等など、子育てについての何やかやを知る機会がぐんと増えている。

昨日は娘のおむつがまだとれなくて、という話があった。そろそろというタイミングでトイレに対しての恐怖心が芽生えてしまって、トイレが怖くてだめなのだ、ということだった。もうすっかり物心ついて色々喋れるようになっていて、本人もこれではだめという気持ちは十分にあるみたいで、春になったら頑張る!と一生懸命に言っているらしい。全然大丈夫なことだと思うのだけど、いま私たちが当たり前にしているトイレで排泄するという行為も、できないからできるへの過渡期があって、そういうことが全部ひとつずつの成長なんだ、と改めて思った。

しかし考えてみれば家じゃないと大便したくない人というのはいて、うちは父と弟はそういうタイプらしい。そういえば私も義務教育か、もしくは高校生くらいまでは外でするのは嫌だったかもしれない。しかしこれ、女性に多いと思うのだけど、私の場合はお年頃以降は便秘ということのほうが問題になってきて、場所関係なくどこでもいいから出れば嬉しい、というふうに変わった。朝に家でというのがいちばんすっきり気持ちよいのですが。

で、人に生まれて、成長していくというのは、大人になった今は当たり前に思うことをひとつひとつクリアしていく感じなんだな、と思ったのだけど、でも大人になっても意外とそれって変わらないかもしれない、とも思った。

私は生理がとても重いほうで、生理痛が痛くて動けない、夜中に目が覚めて寝れない、ということがよくあった。周期もやたら早かった。何十年もずっと、というわけではないけど、北関東の結城という街で、文化財に登録されている古い社屋で働いていたときは特にそうだった。

古い建物は趣があって、そればかりは新築では作り出せない、時間しか作り出せないもので、その環境も含めて仕事は大好きだったけれど、寒いのはとにかく寒かった。建物のなかにいても隙間風、デスクワークをするのは土間になっている店舗のバックヤード、板の間の上を足袋で歩く、などなど。でもそういうものだと思っていたし、冬はそんなに長くない、わりとすぐに過ぎるものでもあって、家もエアコンが苦手なのもあって最小限の暖房で過ごしていた。運動の習慣もなかった。今思えば、知らないうちに身体がとても冷えていたんだと思う。

それが札幌に住んだら、嘘みたいに生理が軽くなった。生理痛はほぼなく、周期も安定。これは圧倒的に生活の場としての屋内が暖かかったことに起因していると思う。札幌じゃなくてもマンション、または気密性断熱性に優れた家に住めば同じ違いを感じたかもしれない。加えてジョギングも始めたことで血流がよくなって、冷え、というものが全般的に改善されたのだろう、そうなってはじめて、あんなに辛くて夜も眠れない痛みは冷えのせいだったんだと思った。

冷えているというのは、血の巡りが悪いということだ。身体の器官は、血さえ巡っていれば働くけれど、そうでないと本来持っている機能が発揮されにくくなる、というのがあって、生理痛が酷かったのは、うまく働かないところをなんとか、とその器官が頑張ってるのがそのまま痛みになってたんだなと、今は思う。これは人によって理由は様々なので誰もが当てはまることではないし、私の場合は婦人科の定期検診等では何もなくて、とにかく暖かい環境に移ったら本当に驚くほど痛みがなくなったのでそう推測しているだけなので、もしかしたら違う可能性もあるけど、でも自分のケースに限って言えば冷えのせいだったろう、とは思っている。

ただ暖かい環境で暮らす気づきがなければ、今も痛みに苦しんでいたかもしれない。これは気づいて、解決されて初めてわかることで、冷えなければ痛くない、と気づくまでにはかなり長い年月がかかった。でもこれは今までの場合についてであって、今後はまた違う理由での痛みが出てくれば、その解決、乗り越えについての時間がまた始まる。

これを私は、大人になってもやっぱりひとつひとつだな、と感じるのだけど、ただ子どもと違うのは、大人は対処すべき事象が増えるから、そのひとつひとつの比重が下がること。生理痛について書いたけれど、痛いけどそんなもんかなと思っていたのは他に解決すべきことが生活や仕事のなかにたくさんあって、そんなに大事と思えなかったことも理由だったりして、でも子どもをとなればこんなに痛くて大丈夫かなと思ったりもしつつ、大きく焦点を当てる前に解決されてたというのが実際のところで、日々はそんな感じで過ぎていく。

でも子どもだけじゃなくて大人も、ひとつひとつなんだよなと、それはきっと老人になったってそうなんだよな、と思う。