サーミの血

 

わたしたちは自分で選びたい。結果同じ暮らしをするのだとしても、強制されるのではなく、それを自分で選んだ、ということが重要だ。今の感覚からすればとても魅力的にみえるサーミの衣装でも、それしか着てはいけない、それを着る暮らしの外へ出てはいけないとなれば、それはまとわりつく檻になる。

スウェーデン人から主人公、エレ・マリャにむけられる視線。

寄宿舎を抜け出してダンスパーティーに行って戻ったあと、また街に出たあとの帰省で、サーミの人々からエレ・マリャに向けられる視線。

差別を具体的に表現するセリフは少ないけれど、この視線がなによりも痛い。そして異質なものをみる視線はどちら側からも向けられる。

どうして人間は、自分と同じ側、違う側、というのを分けて認識したがるんだろう。ときにはサーミであり、ときにはスウェーデン人である、ということがどうして成り立たないんだろう。どうして向こう側に行くことが裏切りになってしまうんだろう。もちろん、ずっとそこに属しているのでなければ身につかない技なり態度なりがあることはわかる。そうでなければ守られないことがあることもわかる。それでもどうも、こちら側とあちら側を分ける境界の存在が歯がゆく、窮屈に感じられる。

いまは“○○だから○○でなければならない”、という既成概念がことごとく嫌がられる社会になってきていて、それを押し付けるようなCMや広告などある程度公共性を持つ表現が出ると、ことごとく炎上する。そこでおかしいと意見を表明する人、”○○でなければならない”を覆して生きようとする人は、エレ・マリャの葛藤の、行動の、延長を生きる人だし、わたしもその一人だ。そういう人が増えていることが、結局の所、人間全体にとって良いのか悪いのかは正直わからない。自由をもとめる心は我儘でもある。でも自由に生きたい、自分で自分の道を選びたい、と思う人の振る舞いをとめること、抑えつけることは誰にもできない。

だから、最後にエレ・マリャには謝らないでほしかった。両方に属すことが許されていさえすれば家族を捨てる必要もなかった。見世物になるのはまっぴら。まっとうな思考回路だと思う。そこで諭せず、自分たちの誇りを示せず、出ていけ、としか言えない母親は哀しい。

けれど一方で、エレ・マリャの妹のように揺るがずサーミであることを選ぶ人がいることに安堵もする。そういう人がいなければ、サーミの血は途絶えてしまっていたことだろう。自分はそうであることを選ばないのに、いまだトナカイとともに自然の中で生きている人々がいるということは、いなくなってしまったという話を聞くよりも嬉しい。そしてその人たちには誇り高く気高くあってほしいと思う。つくづく勝手なものだ。ただ私も自分の領域のなかで、多様性の側につきたい、多様性をつくりだす側でいたいとは常々思っている。私はそれを選びたい。

湖でヨイクを歌うシーンが美しかった。ヨイクはアイヌの民謡と抑揚が似ていた。自然の中にあるなにかに近いものなのか、逆にそうではないからよく響くのか、動植物に良く作用するなにかなのか。高緯度の寒い気候のなかで、効果的に働く旋律の意味があるのだろうと思った。

 

この『サーミの血』。中学の同級生が、鵠沼海岸の商店街につくった「シネコヤ」という映画館で観た。

http://cinekoya.com

映画館をつくるなんて凄いことだ。

ずっと気になっていたのが今回出産のために長めに帰省しているのでやっと行くことができた。古い写真館をリノベーションした建物は、革でできたペンダントライトとか、いまは生産されていなそうな壁紙や床の模様、ビロードの絨毯といったものが、映画がもっともっと驚きとともに迎えられていた時代の映画館はこういう雰囲気だったかもしれないと思わせる、新築ではつくれない重みと、かわいらしさを醸し出していて、並べられている本も良くて、その中で映画を観るというのはとても楽しいことだった。

そして売っているチコパンというおそらくチコさんという方がつくるのだろうパンが本当に美味しかった。もっちりしっとり、密度がすごく高いタイプ。手間がかかるのか高くなるからか、美味しいパン屋さんはたくさんあるけど、あそこまで密度のあるパンはあんまりなくて、というパン。カンパーニュが特に良かった。

店主のしょーこちゃんいわく、とても素敵な場所なのに食べ物が残念なことはけっこうあるから、それをクリアしたかったとのこと。たしかに私は藤沢にいる間にパンだけ何度も買いにいくかもと思ったので、食べ物重要だなと痛感した。

写真はシネコヤで毎月発行しているニュースレターの表紙。映画のビジュアルと”ネコ”を毎回関連させたものにしているらしい。