お腹の中がかわいい

 

お腹の子どもは私が横になっているときのほうが活発になる。動いていると私の活動に使われる血液が、横になっているとお腹に集中するのでそうなるらしい。

子どもは、もぞもぞ、もごもご、ぐにゅりぐにゅりと動く。ここに確かに生き物がいる、と感じる。まだ見ぬ子がお腹のなかにいるということが、なんとも不思議な気持ちになる。話しかけていると愛情が沸いてきて、でも慣れてくるとどこか実感が遠ざかるような感じがあったり、親としての、よく言われる自覚というやつはあるようなないような、もちろん大事に思っているし大事にしているし良いと言われることは試してみたり食べ物なども気をつけてるけど、やっぱり生まれてみないとほとんどわからないとも思っていた。それが昨日はお腹の中の存在をとてもとてもかわいく感じた。臨月に入ってやっと沸いてきた実感みたいなものかもしれない。出てきて対面したらすごく感動すると思う。

飼う、という言葉を人に用いるのは非人間的で感じが悪いけど、でも生き物をお腹の中で飼ってるような感覚が正直ある。それが面白いし、かわいい。ここまで大きくなって動きが頻繁に感じられるようになると、育てているというよりは飼ってる感じだ。ナウシカの服の中でキツネリスのテトがもぞもぞもぞっと動いてるような。

大きくなったぶん立ったり座ったり食べたり息をしたりも苦しいけど、今までは私の一部を貸し与えて育てていたのが、できあがった別の存在をひとまずお腹にかくまってるみたいな、それはやっぱり飼ってるって感じで、私は巣なりケージなりを常に抱えて歩いたり寝たりしていて、だから苦しいし重たいんだと思う。しっかりした生き物、存在がここにいる、ということを凄く感じる。身体の一部じゃなくて本当に別物。それはずっと感じてたはずだけど、実感が強くなった。お腹の子の、生き物としての存在感が本当に強くなった。もう外に出てきても大丈夫というのが体感としてある。

一度外に出てきたら、お腹の中に戻すことはできない。このもごもご感、ぐにゅりぐにゅりもあと少しと思うと名残惜しい。どんな顔をした、どんな性格なのか知らない、まだ見ぬ状態でしかお腹の中にいてもらえないのが少し残念なような。産んだ後も顔を見つつお腹の中で育てられる有袋類が羨ましい気がする。

しかしカンガルーだってそうしたくてそうしてるわけじゃない。有袋類は胎盤が低機能でお腹の中で胎児を大きく育てられないから出てきた後も育児囊という袋のなかで育てる必要があるらしい。それはそれで大変そうだと思うけど、写真でカンガルーのお腹から小さい子どもが顔をのぞかせているのはとてもかわいい。