降りていく系と発散する系

 

雪で外を歩きにくくなったので、家で簡単なヨガをやったりマタニティビクスをやったりする。やっていると、この一つの身体に対して、鍛えるべき、動かすべき、柔らかくしておくべき部位というのはそんなに変わらないんだなと思うけど、アプローチは全然違う。いや、動きとして似ているものはわりとあるから、アプローチというか、態度が違う。

ヨガは頭だけで逆立ちしたり腕だけで身体全体を支えたりはしない、呼吸法とストレッチが主なものだけど、呼吸を意識する、伸びている部位を意識する、というのは精神と身体のいつもとは違う使い方で、身体感覚に降りてくみたいな、意識と身体を混ぜていくような感じがある。友達がヨガの先生なので月に一度教えてもらっていて、夏の間はそれを外の公園でやっていて、外でやると他のものと「一体になる」的な、ヨガが目指していそうなところがより感じられた。脚の下から逆さまの木が見えるとか、目線の先に雲があるとか、そういう一つ一つのなかに自分が乗っかって、場合によっては溶け込んでいくような。全体のなかの一部になる、全体のなかに自分を混ぜていく、主客を分離しないといったらそういうふうにも言えそうなこと、とにかく外側と身体と意識を同一化させていく感覚がある。

ヨガの立ちポーズはすごく重力を意識するようにできていて、筋肉をねじったり片足になったりして、それでも立つには身体の重心を意識してバランスをとるのが必要で、バランスがとれるということは、重力に重心を重ねること、重力に自分が重なることなのかと思う。それでそのポーズをしているときにしか使わない筋肉、動かない感覚がある。ポーズには、猫の、とか、鷲の、とか、生き物だけじゃなくて橋の、とか名前がついていて、その形をとるときにはたぶん本当に、猫になったり鷲になったり橋になったりしたほうが良いんだろう。それはやっぱり、自分が自分であるだけじゃなくて、猫にも鷲にも橋にもなる、そういう状態を目指すものなんだと思われる。

ヨガは精神の働きを意識させる。それはそれとして、ただただ発散したい、ぐるんぐるん腕を回したいときもある。それにはエアロビがいい。

マタニティビクスはとにかく明るい。元気がいい。日本人的にはカラ元気と感じられるくらいの元気さだけど、そのテンションで動くのも私はけっこう好きだ。嘘でもイキイキしてるっぽく動いていたらいつのまにかほんとうにイキイキしてきた、ということがある。先生は、ハーイ!あとちょっとよ、頑張って、いい感じ、よくやったわねお疲れさま!と常に励ましてくれる。

最近みているやつには、腕を前にだしてパンチ、下から突き上げてフック、横から持ってくるフック、足を横に高く上げてキック、という動きも入っていて、これも楽しい。出ている人は先生含めて全員妊婦で、後ろにいる生徒的な人の、え、こんな動きするんですか?愛想笑い、みたいなのまで映されてるのも面白い。マタニティビクスで検索するととにかく出演者は全員妊婦なのが凄いなぁと思って、妊婦を募集したのか、でもマタニティビクスの教室なら入れ替わり立ち替わり妊婦がいるのか、と思ったりした。

ちなみに歴史的にはどれくらいの違いがあるのかしら、とwikipediaをみたら、エアロビは1980年以降広まったものだそうで、思っている以上に新しかった。一方のヨガは諸説あるものの、古いものではインダス文明に起源をみるものらしい。そして、ヨガはもともとは古代インドの宗教的行法であって、バラモン教、ヒンドゥー教、仏教、ジャイナ教といったインドの諸宗教と深く結びついていて、釈迦もヨガを学んだ。仏教に取入れられたヨガの行法は中国、日本にも伝えられ、座禅となった、とあった。座禅と似てそう、というのは座禅をしっかり組んだこともないから〜そう、としか思えないけど、なんとなくそういうことを思ったのも先にあったのはヨガだった。精神云々ということを思ったのも、そりゃそうだ、という話なのだった。