葛の糸づくり-2 川で糸をとる

 

ムロを開けると、納豆から色気をぬいてぼんやりさせた、なまあたたかい匂いがもわっとたちこめて、白いフワフワしたものがびっしりとりついた、全体としては茶色く変色した葛のまわりを、無数の小さい虫が飛び跳ねている。

ただ悪くなっているだけでは…というのは匂いもそうだし、納豆菌による発酵だから納豆の匂いに似ているともいえなくはないが、先鋭化されてないぶん官能性もなくて、ようはただ臭いのであって、さわるとヌルヌルするし、黴が生えてるし、虫もピョンピョンしているしで、これを有用なものに変換していく人の知恵、この状態の奥に利をみつけられる人の感性に、あらためて恐れ入る。

自然に近い暮らしのなかでは、微生物の働きがものを変化させることは、もっとずっと身近なものだったのだろう。人が、動物が、草が、土にかえっていくことを肌で感じて暮らしていたら、腐食と発酵の違いも嗅ぎ分けられるようになるのかな、というか、今はそういうものから本当に離れて暮らしているんだな、と、ずいぶん遠いところまできていて、でも遠いところまできたことを私はぜんぜんわかってないんだな、と思う。

この日の葛はとてもいいぐあいに発酵していた。袋に入れて、近くの川に移動する。

葛の繊維をとりだすには、川をつかう。川の水にあるたくさんの種類のミネラルが葛の発色にはたらいて、水道水でやるよりも良い光沢がでるらしい。流水の一方向への流れが作業をたすけてくれるし、日光の漂白作用で繊維が白くなる。だから室内で水道をつかってできないことはないけれど、外の川でやるほうが良いものができるのだという。

 

 

長靴をはいて川にはいって、深さのちょうど良いところを探して、リース状にまるめてある葛を伸ばして、流されていかないように大きめの石などにまとめてひっかけておく。そこから一本取り出して、表面のヌルヌルをとる。発酵がうまくいったので、表皮はさわると簡単に水に流れていく。このヌルヌルした表皮のことを、オグソ、もしくはクソカワという。なんにしてもクソと言いたいみたいで、と志乃さんが笑う。

つぎに繊維と芯を分離させる。皮を剥こうとすると剥けるものがあるので、その性質にそって一本あたり1.5mくらい、できるだけ途中で切れないように、手を動かしていくと、光沢あるひらたい紐状のものがとれる。芯はそれなりに固くて藁みたいなかんじで、それはそれで昔の人は草履を編んだりしたらしい。

葛の繊維は、表皮と芯の間にある、うすいうすい膜みたいなものなのだ。芯があまりにもしっかりして存在感があったので、一本につきこれしかとれないのかと驚いた。自然のなかでの人の無力さを感じずにはいられない。なぜ人間は体毛を退化させてしまったんだ…服が必要だなんてなんて弱いんだろう…

というのはさておき、とれた繊維は流水にさらしておき、あとでまとめて引きあげる。さらす時には、水面近くに繊維がくるように気をつける。すると、さらしている間にも、日光の漂白作用がはたらく。繊維にはすでに光沢があって、水にゆらゆら流れているのがきれいで、そこに自然そのものとも違う、人間が手をかけて引き出した自然の美しさ、みたいなものがある。

途中で、私の葛は若すぎてまだ繊維が弱かったことに気づいた。どうも途中で切れたり、反対方向からさけてきたりして、ふとくひらたいものにならない。採集するときに、木質化していないものをと思いすぎて、柔らかめのものを意識して採りすぎたようだ。これも経験でしかないけれど、こういう、ひたすら対象とむきあって、その性質を身につけて、その先の利用方法を想像して、その時々の天気や湿度なども加味して、良い材料を探して、良い手の動きをさぐって、というのは、原理を抽出して記号化してどこでもいつでも再現可能にする知性とは、やっぱり別のもの、全くつながっていないとは思わないけれど、こっちの、身体が学んでいく学びも、大事だよなあとまた前回と同じことを思う。というか、それを知っていくことは、とてもおもしろい。

前回、私が採集した葛は20本。手が慣れてきたくらいのころに作業終了。もっとやりたい気がしないでもないが、水の中にずっと手を入れているのはこのくらいが限界だったと思う。真夏日の日差しのなかでの作業とはいえ、だんだん手がかじかんで動きがにぶくなっていた。水に入りっぱなしというのはとても冷える。今日の作業でできた繊維では、たぶんランチョンマットくらいにしかならない。服をつくると思ったら、気が遠くなる。なんて大変なんだろう。なんで人間は体毛を…(以下同文)

二時間くらい作業して、ちょっと頼りなげな葛の繊維(これは葛苧:くずおと呼ぶ)がとれた。ぜんぶまとめて草の上に並べて、天日干しをする。引きあげたときはまだ緑みがのこっていたのが、干すうちに白くなって、光沢も増した。小千谷縮の雪曝しの意味がわかる。人は日に当たると黒くなるから、白くなるという植物の原理が感覚的にすっとはいってこないが、そういうものらしい。

 

2017.7.13