見えないものと生きている1 発酵のこと

 

秋に、ワインをつくっている知人の手伝いでワイン用葡萄の収穫をした。それでワインの作り方を聞いたら、とても簡単で驚いた。

収穫した葡萄を洗わず、つぶして、放っておく。これだけ。洗わないのがポイントで、皮についている酵母菌が葡萄の糖をつかって発酵することで、アルコールが生成して、ワインになるらしい。実際には腐敗に傾かないように毎日かきまぜたり、酵母による発酵が終了したあとの乳酸菌によるマロラクティック発酵を促したり、プロになると葡萄の品種にあわせて酵母の種類を変えるとか、クオリティ維持と向上のための作業は色々あるのだが、仕組みとしてはつぶして放っておくだけでできる。これはお酒のなかでも一番シンプルな作られ方で、工程が少ない分、ワインの味の多くは葡萄の味に負うことになる。だから有名なワイナリーは農園をもつ農家でもあることが多い。

自家製ワインは酒税法で禁止されているので、これも手伝ってみたことなのだけど、黒い真珠みたいに光る丸い粒を房から外して、プラスチックの樽のなかにいれて、手でぎゅうぎゅうとつぶして、下準備は終了した。あとは日々かき混ぜるだけだという。つぶして2〜3日後の液体はまだ山葡萄ジュースで、爽やかな酸味と濃厚な葡萄の香りがとても美味しかった。

その一週間後にみた樽のなかはぷつぷつ気泡がたくさん発生していて、それはつまり酵母が発酵して、葡萄の糖をエネルギーにして、二酸化炭素とアルコールを生成させているところだった。そのまた二週間後にみると、液体と混ざって上の方にあった皮や種は全部下に沈んで、気泡もなくなり、表面は静かに落ち着いていた。酵母自体は一度も目に見えなかったけれど、酵母の働きによる葡萄の変化は明らかだった。葡萄は液体になった。二酸化炭素は一度発生したあとで消えて(発生途中のものはスパークリングワインだ)、葡萄の香りのするアルコール飲料ができていた。

ワインの酵母は葡萄にくっついていた。目に見えないけれど、そこにあった。

私は自分が思っているよりもずっと菌と一緒に生きているんだということを知った。お風呂の掃除をさぼるとカビたり、赤いヌルヌルがついたりするから(あの赤いのはカビではなく酵母らしい)、目に見えない菌がいることは知っていたけど、腐らせたり悪い方向にいくのではない、葡萄がワインになるというダイナミックな変化を目の当たりにして、菌と生きてるイメージの解像度が一段あがった。ビヒィズス菌とか悪玉菌も言葉として知ってはいたけど、それが腸のなかにいて共生してることが、少しだけ理解できた分、不思議だと思う気持ちが増した。

今は発酵の仕組みを化学式で表すことができて、それを仕組みとして知ることができるけれど、それが解明されるずっと前から、人は発酵によってお酒をつくり、パンをつくり、味噌やしょう油をつくり、色を染めたり(染色の王様とされる藍染めは発酵の原理をつかって染められる)、繊維をとったり(葛の繊維は発酵によって固い部分を溶かす)してきた。

発酵というのは、エネルギーの交換過程であるらしい。人は目に見えないものと、エネルギーを交換しあって生きている。世界には人間以外の生き物がいる。当たり前だけど。意識しなくても、その繫がりの和のなかに、人もいる。その交換しているものの量たるや、気が遠くなる。

それを考えると、時間旅行というのは、実現したらものすごい環境破壊なんじゃないか、と思ったことについて、つづく